癌((がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!心と体のケア法☆

彼の癌と共存した2年間で学んだ癌の知識、試した癌の治療法・抗癌剤、代替最先端治療、サプリ、ホスピス、在宅ケアまでの全ての情報を 今、闘病で辛い想いをされている方に伝え、少しでもお役に立てればとの想いから発信する実体験ブログ

余命

余命1ヶ月の花嫁・・長島千恵さんの反響・・・5

前記事で「余命1ヶ月の花嫁ー長島千恵さん」のテレビ放映の事を
書かせてもらったところ・・・何時になくアクセス数が増えていた・・・

テレビの影響って凄いんだなぁと・・・改めて思いました。
「余命1ヶ月の花嫁」・・・この一言がきっかけで、「たっちゃんの妻」さん
からコメントを頂きました。縁って不思議なものですね・・・
「たっちゃんの妻」さんのブログを訪問させていただきました・・・
彼女のご主人「たっちゃん」も、肺がん末期での告知。
告知から僅か3ヶ月と10日という闘病生活で旅立たれていました。
肺がん・・そしてパチンコ・ラーメン・病院からの脱走・・・
共通点が多々・・何よりも亡くなった日が近いのです。

旅立たれる5日前に、ホスピスで色んな方々の協力を得て結婚式を
挙げられたようです。「願うこと」・・「全力で(無心で)行動すること」・・
そして「感謝すること」・・
それは大切な大切な「愛に包まれた生きる力」−
何よりも大きなグリーフワークの柱となることでしょうね・・・
「たっちゃんの妻」さんのブログ、もう少しゆっくり拝見させて頂きたいなと
思っています。

前回、長島千恵さんの装着していたカニューレが彼と重なり・・・
彼女そのものが娘と重なる・・・そう書いたのですが、昨日娘達が
別々に遊びにきたのですが、ふたりとも最初にでた話題はーやはり
「余命1ヶ月の花嫁」・・千恵さんのことでした。

若いから・・・と自己の体を過信することなくー内なる声に耳を傾け
自分の体を管理できる力をつけて欲しい・・
生まれてきた「命」は大切に繋げていって欲しい・・

そして「あたりまえ」という感覚に馴れ合わないこと・・・
家族として・・恋人として・・友達として・・師弟として巡り合えたことに
純粋に感謝できるような・・・そんな人であって欲しいなと・・・
大切な人たちと共に支えあって生きてゆくためにも・・・自分の中の
愛情のエネルギーを、いつでも分けてあげれるように・・まずは自身の
体に良きエネルギーを・・・(口から取り入れる栄養源)
そして健康なる体に良き心のエネルギーを・・・(愛や思いやりかな・・)

1日1日を大切に・・心に「遣り残しという、自身で見逃せる小さな後悔」
を降り積もらせないようにしなきゃね・・・
自分に対する「後悔」が少なければ少ないほど・・・
「生きる事」・「生かされている事」は、そんなに辛いものではないのかも
しれない・・そして「死」も恐れることはないのかもしれないなと・・・
霞の中での思考が見え隠れしています・・・

新たなる思考回路への出逢いのきっかけに感謝

「余命1ヶ月の花嫁」を見て・・・5

18日・・途中からではあったけれど、TBSで放映された
「余命1ヶ月の花嫁〜乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ」をみた。

重なる何かが大きかったのかな・・・無意識に涙が止まらないままだった・・
そのひとつがカニューレ・・・
彼がギリギリまで拒み・・酸素イコール末期の末期と拘っていたカニューレ
もちろん、最後の5日間はカニューレでは補えず、マスクだったけれど・・・

もうひとつ、重なったもの・・それは24歳という若さ・・・
そう・・・娘と重なった・・・
彼に見せられなかったウエディングドレス姿・・・
そして、子供に先立たれる親の想いが 身につまされて心が痛かった・・・

彼女は、たくさんの「愛」を受け止め、言葉に言い表せないという「感謝」を
笑顔と生きるエネルギーにかえて、生き抜いた・・・
肺と骨転移の辛さは想像を絶する辛いものだったと思う・・・
乳がんの典型的なメタ・・・肺と骨・・・
彼女は母親のターミナル期のモルヒネ使用のトラウマ的なものがあったのか
セデーションに拘りをもっていたようだった。

右腕にディユロテップを貼って痛みが和らいだ時の、彼女の嬉しそうな笑顔
彼女には十分な疼痛コントロールを行う時間も、悪液質の状態に陥る時間も
ないままに召されてしまったようだった・・・
それは、編集されていた部分もあるのかもしれないけれどー
私には、愛に包まれた分だけ守られていたのだと思えた・・・
きっと・・天国のお母様が優しく導いてくれたのだと・・・

闘病ドキュメンタリーとしてならば、昨年10月12日に亡くなられたIT社長の
藤田憲一さんの番組は、今まで見たものの中では(彼の癌告知後・・)
最も彼の経緯と近かったせいか、「壮絶」と言う言葉が当てはまる番組だった
飯島夏樹氏の番組(天国で逢えたら)も部位の違いからか吐血とかは
なかったものの・・やはり彼が重なった・・・

そして、こういう番組を見ると・・・逢った事もないMr肺がんの事が浮かぶ・・
暗記してしまうほど読み返した・・Mrの最期のエントリー・・・
もう2ヶ月という時間が経とうとしているんだな・・・
今頃は・・新潟中越地震の現場にいるかな・・なんて思ったり・・・

いろんな方が伝えようとしている「癌からのメッセージ」って・・・
みなさん何だと思いますか?
地球温暖化による異常気象や飽和状態の文化や経済・・・それらが
母なる地球からの悲鳴でありメッセージであるのと同様に・・・
大地から生まれ・・生かされている私たちへの「乱れ」「間違い」「奢り」・・・
愛のメッセージなのだと私は思っています。
もちろん、現在闘病中で痛みや苦しさを抱えているかたにとっては
いくら愛を注いでも、結局癌には勝てない人のほうが多いではないかー
綺麗事だとーそう思う方もいるかもしれません・・・
ひとりひとり、癌の性質も違うように 家族環境も、闘病環境も違うし
出逢う医師も治療方法も、情報も、効果さえも違う・・・
唯一共通点に繋がる部分として・・・「心の免疫力」かなと思うのです。
目標と目的の違い・・・そして「気付き」「気付くこと」が大切なのだと・・・

今後は・・「癌からのメッセージ」という部分で、サバイバーの方、
うまく共存している方、克服された方の共通点等、お伝えしていきたいなと
そんなふうに思っています。

なんだか取り留めも、まとまりもありませんが、1昨日の放映をみて
感じたままにタラタラ書かせて頂きました・・・(ゴメンナサーイ)

末期がん告知の事、そしてリビングウィルについて・・5

癌告知・・ううん末期癌告知・・そして余命告知・・
彼の場合、何もかも1度期に・・淡々と告知された・・・
彼は、「それでよかった」と言っていた・・・
正直、私もそれでよかったと思っている
(余命に関してはどうかな・・??)
だけど・・・告知の仕方、そして告知後のフォローに関しては
最初の主治医には言葉にはださねど、憤りを感じたのは事実だ。

医師としての知識、経験、治療技術と共に「告知技術」も意識して
ほしいなと思いました。インフォームドコンセントという最先端的な
名前同様、「義務」のみで告知されてしまうと、冷たさのみが心に
いつまでも残って、癌治療そのものよりも受けた傷跡は大きく・・・
あとあとまでも癒されないものになりうるのではと思っています。

癌告知は、最初から本人に直接・・というケースは、告知なくしては
治療が困難という癌の種類もあったり、完治の見込みがある場合は
殆ど本人に告知されるのですが、末期がんで余命が・・という診断に
なると、先に家族に告知されることのほうがまだまだ多いわけです。

本人から「事実を言ってください」という要望があったとしても、家族が
「本人には言わないでください」と言えば、家族の反対を押し切ってまで
本人に告知する医師は殆どいないのではないでしょうか・・・
なぜ家族は反対するのか・・・
「可哀相で言えない」「半狂乱になったら・・、ショックで自殺したら・・」
「事実を知ってしまった本人と、どんな話し(接し方)をすればいいのか」
「最後まで治るという希望をもたせてやりたい」
「歳もとっているので、穏やかな気持ちのまま逝かせたい」

さまざまな告知後に予想される事態を回避しようとして、家族として
「告知はしないでください」という結論に至るのだと思います。
ただ・・告知しないのも「大変」です。
本人が「言葉にする、しない」は別にして、「病状がよくならない」ことに
疑問をもちます。そしてそれは病院に対し、医師に対しての不信感に
繋がり・・そのことを家族に言っても、なんとなく流されるような気がする。
嘘をつくこと・・つかれることの心理的な葛藤、作用にはとても辛いものが
あると思います。
こんな場合は事実を言ったほうが本人の気持ちが落ち着きます。

大切なことは、「伝えかた」なんだと思うのです。
医師にしても、立場的にも過大に感情移入などはできないでしょうが
「あなたの病名と治療法の選択肢はちゃんと伝えましたからね」という
ものは、ますます不安や絶望感を増強するだけのような気がします。
1から10まで、すべてを伝えれば「それで告知義務は果たした」には
ならないと思います。特に「余命」に関しては・・・

最初の診断の時点で、耐え難い痛みや、すぐにでも対処しなければ
命の危機に関わるというものでなければ、そんなに焦ってその場で
すべての告知をしなくてもいいのではないのかと・・・

10人いれば10とおりの・・100人いれば100とおりの心があり、環境
がある・・そのすべてに完璧な告知の仕方なんて初診で分かってほしい
なんてことは無理な話しでしょう・・けれど病気だけを診るのでなく、
その人の全体像からの症状を推測しての、目と目を合わせての、挨拶
を交わしてからの「心情の診断」も同時にできるような医師であって欲し
いな・・今はパソコンの画面ばかりみてる医師が多いような気がする・・

そんな環境で告知→インフォームドコンセントを淡々と行なわれ感情の
整理をする間もなく、部屋をでなければならないような環境は配慮不足
じゃないのかなと思う・・・告知にも、もう少しプロセスがあってもいいので
はないでしょうか・・

癌の告知・・特に末期がんは特に告知後のケアに関して配慮していかな
ければならないことが多く・・本人、家族、医療チームがひとつになって
「生きること、生かされていること」を見つめていかなければならないの
だと思います。
緩和ケア科が「癌の診断時」から「心のケア科」として同時進行で受診で
きるようになるといいのにな・・・

癌の告知の事と共に考えておかなければならないなと思う事のひとつに
「リビング・ウィル」やレット・ミー・ディサイドの「治療の事前指定書」などが
あります。ここまで書こうと思っていたのですが、少し長くなったので
次回にしたいと思います。


医療の現場に関わりながら、同じ時間は2度とやってこないんだという事を
「忙しい」という感覚を打ち消すように心で呟きながら、仕事をさせて頂いて
ます。最近ブログの更新がなかなか出来ないこと、そしてその内容に関して
大切なかたたちから心配のメールや電話をいただきました。

もうすぐ、また検診があります。その時にまた精査となれば・・・
ちょっと考えるかな・・・ただ、自分の中の「リビング・ウィル」ははっきりして
いるので、なにか変調があればひとつひとつ行動してゆくつもり(笑)
今は自分で生活してゆくことと、そのライフスタイルを楽しく自然体で
過ごしていきたいと思ってる。
このブログも、ある意味自分の為に書いてるのかも・・です(^^)
kyoはしっかり地に足をつけて生きてますので、ご安心を!
「生かされてる」って本当に「感謝」です!

 

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