癌((がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!心と体のケア法☆

彼の癌と共存した2年間で学んだ癌の知識、試した癌の治療法・抗癌剤、代替最先端治療、サプリ、ホスピス、在宅ケアまでの全ての情報を 今、闘病で辛い想いをされている方に伝え、少しでもお役に立てればとの想いから発信する実体験ブログ

リビングウィル

ターミナルケア(人間の死とは)【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

人間の死とは・・・どんな状態で死亡と判定されるのか・・・

彼の望みどおりのセデーションを行ってから約3日間ー
毎日、何時旅立ってもおかしくはない状況の中で・・・
ずっと、ずっと彼の体に触れながら過ごした時間・・・

その4ヶ月前に・・肺炎を起こして危篤状態に陥り、3日3晩
眠らずに彼の手を握り祈り続けた時とは違った・・・
彼が自ら希望していた「苦しみからの解放」の選択肢だった
それは・・・「生への希望」ではなく「死に向かう選択」。

リアルタイムでの最初のグリーフワークだったのかもしれない・・
彼の肉体との永遠の別れ・・・
大好きだった手のぬくもり・・・
厳しくもあり、だけど温かく優しい眼差し・・・
その瞳を・・・もう開く事はないの?
3日間・・子供たちに囲まれ、それぞれの想い出と感謝に包まれ
そして・・・最期に大きな呼吸をひとつ残して・・彼は逝った・・・

ホスピスではよけいな機器類は何ひとつない・・・
お決まりの心電図モニターもつけたりはしないし・・・
スタッフも最小限の訪室しかしない・・・
吸引器も手作りの可愛いカバーがかけられている・・・
モルヒネとセデーションの点滴のみである・・・

そんな穏やかな環境の中で徐々に進む呼吸抑制・・・
そして末梢のチアノーゼ・・・
下顎呼吸・・・冷たくなっていく足先と紫色に変わる爪をさする子供
死の3徴候である、呼吸停止と心拍停止は・・
緩やかに全員で受け止めていった。
SPO2とBPが測定不能になった時点でナースコールを押した。
そして院長先生が瞳孔反射消失の確認を行った後、時間を告げた。

医療の場における死の判定・・・
心臓停止→心電図モニターがフラットに・・・
呼吸停止→自発呼吸なし・・・
瞳孔散大→対光反射なし・・・

個体の死は、心臓、肺、脳の3つの臓器が不可逆的にその機能を
停止・喪失した状態であるという考えに基づいている。

ただし、臓器提供の意思を提示している場合・・(リビングウィルや
ドナーカード)脳死が死と判定され、基準もまた違ってくる。

その他の死として尊厳死と安楽死など、死に方に関する問題や
臓器移植、生殖医療などの生き方に関する問題を内包しており
日本社会全体が取り組むべき重要な問題である為、社会の動向も
ふまえて理解しなければいけない・・・

リビングウィルの記事でも書いたのですが、ひとつは尊厳死・・・
尊厳死(death with dignity)とは、患者が「不治かつ末期」になった時、
自分の意思で延命治療をやめてもらい、安らかに人間らしい死を
とげることである(日本尊厳死協会)
尊厳死は、死ぬ権利の主張であり、個人の自己決定権に基づき
「回復の見込みのない不自然な生(延命措置による強制的な生)
よりも理に沿った自然な死を選ぶ」自己の死に向かっての1つの
積極的な生き方である。

安楽死(euthanasia)とは、第三者が苦痛を訴えている患者に同情して
その患者を「死なせる行為」である。
安楽死は、鎮痛技術が未発達なため、ターミナル期の苦痛から
逃れる方法が「死」しかなかった20世紀前半にできたもので、苦痛の
ない安楽な死を意味する。

現在、医師の作為による分類、(積極的安楽死、消極的安楽死)や
医療の意図による分類(直接的安楽死、間接的安楽死)などがある。

これらが倫理的に受け入れられるかどうかは、国や社会・文化に
よって異なる。

・・・彼の「死」は今で言うと「尊厳死」なのだとは思いますが・・・
ひと昔前ならば・・・「安楽死」に値するものだったんですね・・・

あらためて、今論議されている「延命治療に関するガイドライン」等・・
考えさせられてしまいました。

人生を生きるということ・・・

生と死は、1本の連続線上の対極にあるという見方や、表裏一体である
という見方や表裏一体であるという見方など、様々な捉え方がある・・・

しかし、生と死の関係をどのように捉えていても、人間がいかに死ぬかと
いうことを突き詰めていくと、いかに生きるかということを考えざるを得ない

人生をいかに生きるかということは、人間の成長、発達や人間観、死生観
などの価値観と深く関わっている。また、その価値観は十人十色である。

多様な価値観が認められる今日にあっても、人生の豊かさに不可欠な事
は愛情であることを肝に銘じておく

人間は、ただ生きている存在だけではなく、よりよく生きる存在であり、
変化する存在であり、成長し続ける存在でもある。

すなわち、人間は本来、主体的に自らの人生を生きる存在なのである。

ターミナル期にあっては、死への恐怖で閉ざされた心が、死を見据えて
そして、死を超えて生きつづける心へと変化していく

その過程で重要なことは、日常の営みの中で、生きることを大切にした
ケアを受ける事により、生きていることを実感する。生きていることの喜び
を感じるといった、自己存在を肯定できる体験をすることである。

リビングウィル(尊厳死の宣言書)5

自分が余命宣告を受けた時・・・
誰でも 自分の身辺整理の事を考えるのではないでしょうか
彼の場合、即行で自分の生まれ育った場所、国立・・・
つまりは東京への旅行を計画→実行しました。
その時から、ケモの合間を見ては毎月のようにアチコチに
想い出作り旅行に・・・

そして結婚指輪の購入・・・
同じ時に、持っていた株券の整理・・・銀行と・・・
とても慌ただしく活動していました。

自分(本人)でなければ わからない事を動けるうちに・・・
という思いから、限られた仮退院の時間の中で
動いていました。
その中のひとつに「遺言書」の作成がありました。
私は・・正直、彼との時間が本当にカウントダウンされているようで
便箋に向かっている姿を見るのは嫌だったのですが・・・
すごく楽しそうに書いている彼に巻き込まれて、漢字が違うよ!
とか・・いつしか一緒に文章を考えていたり・・・
実際、不動産の贈与の件で家裁でみんな集合して
遺言書を開封した時には、彼らしいお茶目な文章表現に
みんなで爆笑しましたが・・・

この頃は、私たちの視野に「リビングウィル」という言葉は
入ってこなかったんですね・・・
遺言としては生前に「葬式の形態」と「仏壇の事(彼の亡くなった
奥さんや先祖の入った仏壇)」自分の骨の一部を石垣島の海に
散骨してほしい・・という細かいことは口頭で伝えられていた。

そして、癌の治療法・・最終的に緩和の段階においては
記事の中でも綴ってきましたが、彼の呼吸苦が限界に達したと
判断できた時点で、彼が選択肢として希望していたように
深いセデーションを行って頂き、愛しき子供たちに囲まれ
ゆっくり・・魂は肉体を離れ解放の旅立ちをしたのです。

彼の場合は、ある意味理想的な闘病→旅立ちだったのでは
ないかと思っています。闘病に理想的、という言葉が適当か
どうかはわかりませんが、最後、ギリギリのところまで、意思の
尊重がされたことは、幸せだったよなと思います。

どんな状況であっても最期の最期には「幸せだった」と思える
ことが1番なんだと思うから・・・
人の「死」って、ドラマのように感動的なものばかりでは決してなく
案外、突然に・・・あっけなく息をひきとったりすることの方が多く
何度もそういう現場に立ち会っている私の中では・・私もできれば
最期まで大切な人たちと意思の疎通がおこなえる状況である事を
願っています。

意思の疎通ができなくなった状況を想定して、私は私なりの
リビングウィルを考えておきたいと思っています。
医療とは、患者の苦痛を除き、元気に永く生きられるように
する事を目的にしている為・・本人の意識が無くなるか植物状態に
陥った時、意識のあった時の明白な意思表示がなければ、医療側
は延々と治療を続けなければならないとされているから・・・

尊厳死・・・まだまだ問題は多いような気がします・・・

末期がん告知の事、そしてリビングウィルについて・・5

癌告知・・ううん末期癌告知・・そして余命告知・・
彼の場合、何もかも1度期に・・淡々と告知された・・・
彼は、「それでよかった」と言っていた・・・
正直、私もそれでよかったと思っている
(余命に関してはどうかな・・??)
だけど・・・告知の仕方、そして告知後のフォローに関しては
最初の主治医には言葉にはださねど、憤りを感じたのは事実だ。

医師としての知識、経験、治療技術と共に「告知技術」も意識して
ほしいなと思いました。インフォームドコンセントという最先端的な
名前同様、「義務」のみで告知されてしまうと、冷たさのみが心に
いつまでも残って、癌治療そのものよりも受けた傷跡は大きく・・・
あとあとまでも癒されないものになりうるのではと思っています。

癌告知は、最初から本人に直接・・というケースは、告知なくしては
治療が困難という癌の種類もあったり、完治の見込みがある場合は
殆ど本人に告知されるのですが、末期がんで余命が・・という診断に
なると、先に家族に告知されることのほうがまだまだ多いわけです。

本人から「事実を言ってください」という要望があったとしても、家族が
「本人には言わないでください」と言えば、家族の反対を押し切ってまで
本人に告知する医師は殆どいないのではないでしょうか・・・
なぜ家族は反対するのか・・・
「可哀相で言えない」「半狂乱になったら・・、ショックで自殺したら・・」
「事実を知ってしまった本人と、どんな話し(接し方)をすればいいのか」
「最後まで治るという希望をもたせてやりたい」
「歳もとっているので、穏やかな気持ちのまま逝かせたい」

さまざまな告知後に予想される事態を回避しようとして、家族として
「告知はしないでください」という結論に至るのだと思います。
ただ・・告知しないのも「大変」です。
本人が「言葉にする、しない」は別にして、「病状がよくならない」ことに
疑問をもちます。そしてそれは病院に対し、医師に対しての不信感に
繋がり・・そのことを家族に言っても、なんとなく流されるような気がする。
嘘をつくこと・・つかれることの心理的な葛藤、作用にはとても辛いものが
あると思います。
こんな場合は事実を言ったほうが本人の気持ちが落ち着きます。

大切なことは、「伝えかた」なんだと思うのです。
医師にしても、立場的にも過大に感情移入などはできないでしょうが
「あなたの病名と治療法の選択肢はちゃんと伝えましたからね」という
ものは、ますます不安や絶望感を増強するだけのような気がします。
1から10まで、すべてを伝えれば「それで告知義務は果たした」には
ならないと思います。特に「余命」に関しては・・・

最初の診断の時点で、耐え難い痛みや、すぐにでも対処しなければ
命の危機に関わるというものでなければ、そんなに焦ってその場で
すべての告知をしなくてもいいのではないのかと・・・

10人いれば10とおりの・・100人いれば100とおりの心があり、環境
がある・・そのすべてに完璧な告知の仕方なんて初診で分かってほしい
なんてことは無理な話しでしょう・・けれど病気だけを診るのでなく、
その人の全体像からの症状を推測しての、目と目を合わせての、挨拶
を交わしてからの「心情の診断」も同時にできるような医師であって欲し
いな・・今はパソコンの画面ばかりみてる医師が多いような気がする・・

そんな環境で告知→インフォームドコンセントを淡々と行なわれ感情の
整理をする間もなく、部屋をでなければならないような環境は配慮不足
じゃないのかなと思う・・・告知にも、もう少しプロセスがあってもいいので
はないでしょうか・・

癌の告知・・特に末期がんは特に告知後のケアに関して配慮していかな
ければならないことが多く・・本人、家族、医療チームがひとつになって
「生きること、生かされていること」を見つめていかなければならないの
だと思います。
緩和ケア科が「癌の診断時」から「心のケア科」として同時進行で受診で
きるようになるといいのにな・・・

癌の告知の事と共に考えておかなければならないなと思う事のひとつに
「リビング・ウィル」やレット・ミー・ディサイドの「治療の事前指定書」などが
あります。ここまで書こうと思っていたのですが、少し長くなったので
次回にしたいと思います。


医療の現場に関わりながら、同じ時間は2度とやってこないんだという事を
「忙しい」という感覚を打ち消すように心で呟きながら、仕事をさせて頂いて
ます。最近ブログの更新がなかなか出来ないこと、そしてその内容に関して
大切なかたたちから心配のメールや電話をいただきました。

もうすぐ、また検診があります。その時にまた精査となれば・・・
ちょっと考えるかな・・・ただ、自分の中の「リビング・ウィル」ははっきりして
いるので、なにか変調があればひとつひとつ行動してゆくつもり(笑)
今は自分で生活してゆくことと、そのライフスタイルを楽しく自然体で
過ごしていきたいと思ってる。
このブログも、ある意味自分の為に書いてるのかも・・です(^^)
kyoはしっかり地に足をつけて生きてますので、ご安心を!
「生かされてる」って本当に「感謝」です!

 

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