癌((がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!心と体のケア法☆

彼の癌と共存した2年間で学んだ癌の知識、試した癌の治療法・抗癌剤、代替最先端治療、サプリ、ホスピス、在宅ケアまでの全ての情報を 今、闘病で辛い想いをされている方に伝え、少しでもお役に立てればとの想いから発信する実体験ブログ

ターミナルケア

こぼれそうな想い5

ひとつの命をみつめてる

いつもいつも心のどこかにいて

今日の気分はどうかな・・
今日の痛みはどうかな・・
今日の表情はどうかな・・

そんなふうに気になる命

朝ご飯に出てきてない?
どうしたんだろう・・と想い過る
倦怠感が強くて起き上がれない
そんなふうに聞いた

訪室すると目は閉じたまま
汗が顔に腕に浮かんでる
手足は冷たくて・・
目を開けられないと言う

低血糖??
測定すると、やっぱりそう・・・
ivして、そのまま輸液に繋ぐ

まったく目を開けないその表情は
とても辛そうで、きつそうで・・・
そして「私はどうなっちゃうの?」
そんな不安さえも滲み出ている

パジャマは全身びっしょりで・・・
シーツも枕も何もかも濡れている
熱い湯を持ってきて、ゆっくりゆっくり
表情や呼吸をみながら清拭をしてゆく

上半身の更衣をする時に
ベッドをギャッジアップして
私の胸にもたれかかってもらって
鼓動を感じながら背中を拭く

まったく力の入ってなかった身体が
瞬間、私の胸に・・心に潜り込むかのように
抱きつかれた感触があった
声にならないけれど・・伝わる想い
「生きたい・・」そんな心の声が聞こえた
カーテンを引いて30分間の空間に
たくさんの想いがあふれる

拭いてもすぐに滲んでくる汗・・・
ちょっと待っててくださいね・・
そう伝えて、水を少し多めに入れた
氷枕を作って当てると、表情が緩んだ

小さく細い声で
「ありがとう・・気持ちいい」
その言葉を聞いて、涙がでそうになる

ここには書けないけれど
いろんな憤りがあっての、ひとつの結果
ジレンマに押し潰されそうになる瞬間を
胸に手をあてて、原点に立ち還る
心をこめて、その身体に心に寄り添う

いつだって、何度だって
命の極みには 大切なことが煌めいてる
その灯し火の中に 生きることの・・
生きてることの意味が在るのだろう

答えは、人それぞれだろうけど
誰かのために、生きたいと想い
誰かのために、生きていて欲しいと想う
そんな想いが、儚さの向こうに
強く優しく存在している気がする


昨日からずっとずっとずっと
ひとつの命を想っている
ただ・・みつめてる・・・





ターミナルケア(余命6ヶ月〜数ヶ月)5

ターミナルステージとは「あらゆる手段を尽くして治療しても
治癒に至らない状態で、患者にとって全人的にみて治療行為が
不適切と思われる時期」を言います。
ターミナル期は、生命予後が6ヶ月以内と考えられる状態とされ
余命6ヶ月、余命数週間、余命数日、死亡直前などの時期によって
患者、家族へのケアの様相は異なります
特に、がん末期の場合は よりよいケアが患者、家族の苦痛の除去
緩和をもたらすため、それぞれの時期に応じて適切なケアの実践が
重要であると言えます。

 ターミナル前期:余命6ヶ月〜数ヶ月

治癒をめざした治療から、緩和治療へ移行する時期であり、患者に
とっても家族にとっても、さまざまなことについて非常につらい選択を
しなくてはならない時期であるということ・・・
出現する症状コントロールのみならず、危機状態にある家族もいる
ことを念頭において家族ケアを行います。

症状緩和の原則として・・・

話しや訴えの傾聴。(複数の症状があるため、ひとつひとつの症状
について詳細に聴く。いつから始まったか、どのようにして始まったか
どのような症状か<性質、部位、程度、持続時間>、どのように変化
しているか、随伴症状があるか、どのような事がきっかけで増悪・軽減
するか、など・・話しをありのままに受け止める。

※五感を働かせて察する。

視覚→表情、態度、行動、動作(日常生活)、衣類、モニター・輸液類
     ベッド上・周囲の環境、呼吸状態、皮膚・粘膜の状態

聴覚→声の調子、呼吸音、心音、腸蠕動音、モニター音

嗅覚→悪臭(排泄臭、腐敗臭など)

触覚→皮膚温、皮膚の状態、腹部緊満感、浮腫

※刻々と変化することを念頭において頻回に訪室し変化を見逃さない
  ようにする。

※家族が捉えている症状や、その変化について詳細に聴く。
  家族の話し(想い)を傾聴し、その内容を吟味する。

・・・痛みのコントロール・・・

ターミナル期のケアにおいて、身体的な痛みのコントロールをすること
は、最重要課題のひとつであり、最優先される課題である。
身体的痛みは、患者が自分らしさを発揮する余裕を与えず、生きる
意欲を失わせる。そばにいる家族にとっては、患者の身体的な痛みに
対して何も出来ない無力感を感じ、自己存在の意味を問うくらい追い詰
められていく。
痛みのコントロールが患者のQOLを左右するといっても過言ではない。

ターミナル期の患者には多彩な症状が出現する。出現頻度が高いのは
全身倦怠感、息苦しさ(呼吸困難)、食欲不振、悪心、嘔吐など食に関す
る苦痛、便秘など排泄に関する苦痛である。
これらの症状は、非常に不快であるばかりか死を予期させてしまうため
コントロールは重要とされる。

・・・緩和治療・・・

緩和を目的とした治療は、患者のQOLの維持、向上をめざすことである
そのためには、緩和を目的とした治療に伴う副作用やADLへの影響など
について注意深く観察すると同時に、副作用の予防、副作用出現時の
対処、患者の希望するADLの維持ができるように援助する。

・・・精神的支援・・・

ターミナル期の患者は、病名や病状の告知の有無にかかわらず、近い
将来に死を予感し、耐え難い精神的苦痛を感じている。
患者の内面には、病状に対する不安、死への恐怖、役割を遂行できない
葛藤・不安、信頼できない医療従事者に対する怒り、自分のことを理解し
てもらえない憤りや孤独感など、さまざまなことが心の嵐となって精神的
苦痛をもたらしている。
トータルペインの視点から把握、理解し精神的ケアを行うことが大切である


今、ターミナルケアについて幾つかの本を参考に書かせてもらってますが
癌に限らず・・人生には必ずターミナル期というものはあると思っています
死に向かう・・いえ、自分史のエンディングの時を、どれだけ納得し、後悔
ばかりに苛まされることなく、生き抜くことができるか・・・
自身の「死」は自分ひとりきりの「出来事」ではなく・・肉体との離別をした後
も、なお遺された者たちと共に生き続けてゆくものであるということ・・・

そのための「死」を超えた後の準備のための・・辛いけれど苦しいけれど
大切な時間がターミナル期なのかもしれないなと思います。
癌に勝つとか負けるとか・・・そのことだけに拘り過ぎると、大切なものが
見えなくなってくるような気がします。
病気の意味・・深い部分でのメッセージに、きちんと心の耳で聞き取り・・
受け止める事ができるかどうかが大切だと思っています。

彼が逝って、時間ばかりが降り積もっています・・・
1年という時間は・・1日が365回降り積もり・・・
1日は・・1時間が24回降り積もり・・・
1時間は・・1分が60回降り積もり・・・
1分は・・1秒が60回・・・そうー1秒なんて、意識するまもなく通り過ぎて
時間が過ぎてゆくのが早いはずだなぁ・・とか思っています。
彼との想い出や、今にして気付くケアの本質・・・
彼は・・・きっと自分のことばかりを考えていて欲しいとは思ってないはず!
彼の癌との共存した中で、学んだこと・・大切なことを「今」を生きるうえで
生かして欲しい・・そして生かされている「今」を大切にして欲しいと・・・
聞こえてきます・・・

今は誰のためでもなく・・・自分の心のままに、自分のペースで
こうして文を書かせてもらっています。
彼との時間を抱きしめて・・・今、癌や病気で辛かったり道を模索している
方のお役にたてればと・・思っています。
そして、自分の体とも向き合っています・・・

ターミナルケア(人間の死とは)【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

人間の死とは・・・どんな状態で死亡と判定されるのか・・・

彼の望みどおりのセデーションを行ってから約3日間ー
毎日、何時旅立ってもおかしくはない状況の中で・・・
ずっと、ずっと彼の体に触れながら過ごした時間・・・

その4ヶ月前に・・肺炎を起こして危篤状態に陥り、3日3晩
眠らずに彼の手を握り祈り続けた時とは違った・・・
彼が自ら希望していた「苦しみからの解放」の選択肢だった
それは・・・「生への希望」ではなく「死に向かう選択」。

リアルタイムでの最初のグリーフワークだったのかもしれない・・
彼の肉体との永遠の別れ・・・
大好きだった手のぬくもり・・・
厳しくもあり、だけど温かく優しい眼差し・・・
その瞳を・・・もう開く事はないの?
3日間・・子供たちに囲まれ、それぞれの想い出と感謝に包まれ
そして・・・最期に大きな呼吸をひとつ残して・・彼は逝った・・・

ホスピスではよけいな機器類は何ひとつない・・・
お決まりの心電図モニターもつけたりはしないし・・・
スタッフも最小限の訪室しかしない・・・
吸引器も手作りの可愛いカバーがかけられている・・・
モルヒネとセデーションの点滴のみである・・・

そんな穏やかな環境の中で徐々に進む呼吸抑制・・・
そして末梢のチアノーゼ・・・
下顎呼吸・・・冷たくなっていく足先と紫色に変わる爪をさする子供
死の3徴候である、呼吸停止と心拍停止は・・
緩やかに全員で受け止めていった。
SPO2とBPが測定不能になった時点でナースコールを押した。
そして院長先生が瞳孔反射消失の確認を行った後、時間を告げた。

医療の場における死の判定・・・
心臓停止→心電図モニターがフラットに・・・
呼吸停止→自発呼吸なし・・・
瞳孔散大→対光反射なし・・・

個体の死は、心臓、肺、脳の3つの臓器が不可逆的にその機能を
停止・喪失した状態であるという考えに基づいている。

ただし、臓器提供の意思を提示している場合・・(リビングウィルや
ドナーカード)脳死が死と判定され、基準もまた違ってくる。

その他の死として尊厳死と安楽死など、死に方に関する問題や
臓器移植、生殖医療などの生き方に関する問題を内包しており
日本社会全体が取り組むべき重要な問題である為、社会の動向も
ふまえて理解しなければいけない・・・

リビングウィルの記事でも書いたのですが、ひとつは尊厳死・・・
尊厳死(death with dignity)とは、患者が「不治かつ末期」になった時、
自分の意思で延命治療をやめてもらい、安らかに人間らしい死を
とげることである(日本尊厳死協会)
尊厳死は、死ぬ権利の主張であり、個人の自己決定権に基づき
「回復の見込みのない不自然な生(延命措置による強制的な生)
よりも理に沿った自然な死を選ぶ」自己の死に向かっての1つの
積極的な生き方である。

安楽死(euthanasia)とは、第三者が苦痛を訴えている患者に同情して
その患者を「死なせる行為」である。
安楽死は、鎮痛技術が未発達なため、ターミナル期の苦痛から
逃れる方法が「死」しかなかった20世紀前半にできたもので、苦痛の
ない安楽な死を意味する。

現在、医師の作為による分類、(積極的安楽死、消極的安楽死)や
医療の意図による分類(直接的安楽死、間接的安楽死)などがある。

これらが倫理的に受け入れられるかどうかは、国や社会・文化に
よって異なる。

・・・彼の「死」は今で言うと「尊厳死」なのだとは思いますが・・・
ひと昔前ならば・・・「安楽死」に値するものだったんですね・・・

あらためて、今論議されている「延命治療に関するガイドライン」等・・
考えさせられてしまいました。

人生を生きるということ・・・

生と死は、1本の連続線上の対極にあるという見方や、表裏一体である
という見方や表裏一体であるという見方など、様々な捉え方がある・・・

しかし、生と死の関係をどのように捉えていても、人間がいかに死ぬかと
いうことを突き詰めていくと、いかに生きるかということを考えざるを得ない

人生をいかに生きるかということは、人間の成長、発達や人間観、死生観
などの価値観と深く関わっている。また、その価値観は十人十色である。

多様な価値観が認められる今日にあっても、人生の豊かさに不可欠な事
は愛情であることを肝に銘じておく

人間は、ただ生きている存在だけではなく、よりよく生きる存在であり、
変化する存在であり、成長し続ける存在でもある。

すなわち、人間は本来、主体的に自らの人生を生きる存在なのである。

ターミナル期にあっては、死への恐怖で閉ざされた心が、死を見据えて
そして、死を超えて生きつづける心へと変化していく

その過程で重要なことは、日常の営みの中で、生きることを大切にした
ケアを受ける事により、生きていることを実感する。生きていることの喜び
を感じるといった、自己存在を肯定できる体験をすることである。

ターミナルケアについて・・・【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

        人間の死について・・・(死のイメージ)

私たち人間は、誰もが1回だけ経験する死について
どのようなイメージを持っているのだろうか・・・
色に例えると、何色とこたえるだろうか・・・
一人ひとりの その時の状況により、描かれる死のイメージは
さまざまなのだと思います。

人生や生命の儚さ、誰にでも平等に訪れる死について
「人生は朝露の如し」「生死不定は浮世の常」
「黄泉路に老若なし」「因果応報」などのことわざがあります。

このような ことわざの背景には、日本人の輪廻転生の思想や
死を恐れ忌み嫌ってきた歴史がある。

辞書によると「死ぬ」とは、
\己の呼吸が止まり 息をひきとる。
∪元いなくなる、生彩がなくなる。
Fきを示さなくなる、効果がなくなる。と記されています。

人間は、人と人のあいだで人になると言われるように、
一人では生きられないし、集団の中で生活することによって
成長してゆく。そのような人間の死とは、一体どのようなことで
どのような意味を持つのだろうか・・・
死が間近に迫っているとわかった時の心の変化、最期まで
生き抜くことを見い出したこと、遺されたものの事を記述した
ものがある・・・

  電車の窓の外は
  光にみち
  喜びにみち
  いきいきといきづいている
  この世ともうお別れかと思うと
  見なれた景色が
  急に新鮮に見えてきた
   (高見 順1907〜1965 作家「死の淵より」)

  余は、いままで禅宗の悟りということを誤解していた。
  悟りということは、いかなる場合にも平気で死ねること
  かと思っていたのは間違いで、悟りということは
  いかなる場合にも平気で生きていることであった。
    (正岡子規1867〜1902 俳人「病牀六尺」

人間の死は、さまざまな側面をもつ人間のどの部分に注目
するかによって、とらえ方が異なってくる。

  生物学的立場における死

生物としての人間、つまりヒトにとって死とは 個体の消滅を
意味する。つまり、自然科学としての生物学的立場では
死は個体としての生命の終わりである。これは医学上の
死と同等にみなされている。

したがって、個体としての人間の死は 必然のことであり、
免れえないことである。
しかし、個体は消滅しても、その遺伝子は引き継がれていく。
つまり、個体は死んでも生命は次代へと繋がっていくのである。

生命は、自分自身にとっても、次代を担う子にとっても、他人に
とっても平等に尊い価値があることを肝に銘じておかなければ
ならない。

  医療の場における死

医療の受け手としての人間にとって、死とは 死の判定により
認められた死を意味する。つまり、医学的な死は生命機能が
停止、喪失し、蘇生の可能性がない状態であり、現在死の判定は
2つの方法で医師により行われている。

この医療の場における死の判定については次回、詳細をUP
したいと思います。

ターミナルケアのことについては、彼との治療の日々の中でも
綴ってはいるのですが、今あらためて・・自分が仕事の場に
おいて幾名かのターミナル期に携わらせて頂いて・・・
癌に限らず、命の灯火が消えゆく過程は・・本当に身につまされ
心が揺れる瞬間であることを実感させていただきました・・・
そんな中で感じ、学ばせて頂いた事・・そして少しでも安楽な状態
で過ごして頂けるように考えてきました・・・1冊の本を参考に、少し
ずつ書いていきたいなと思います・・・

 

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