在宅ケア
幻覚と現実を彷徨っている・・・
体は確実に蝕まれていっている・・・
悲鳴すら聞こえない・・・
身体的症状を、一歩下がって冷静に見つめれば
もう・・・苦しみから解放される時期は近い・・・
そう思えた・・・
けれど、諦めも 焦りも 悲観もなかった・・・
ただ彼と共にいたかった・・・
「バスがきたよ」・・「どこに行くバス?」・・「東京」
「痛いよぉー」と叫んでる・・弱々しい声で・・・
レスキューとオキシコンチンを飲ませてあげる・・・
「幻覚と現実」・・・
痛みを訴える時間が「現実」を生きているとしたなら
痛みを訴えない時間は「幻覚」の中で生きている・・・
何が見えるのだろう・・・
ウトウトしている時間には・・必ず何かが見えている様子
時おり、うなされそうな表情を浮かべる・・・
咳をしようとしたが、力が入らない・・・
痰が出にくかった為か「ふぇーん」と声を出して泣く・・
下腹から横隔膜のあたりを、後ろから抱きかかえるようにし
咳をするタイミングにあわせて圧を加えると 痰がよくあがる・・
けれど、出す段階においては、予想よりはるかに少量しか出ない
どこへ逃げちゃう?
タイミングを見て、グレープフルーツジュースを凍らせた氷片を口に
入れてあげると、嬉しそうにニッコリ目を開け「ありがとう」と笑う・・・
この笑顔が、どれほど私に力を与えてくれただろう・・・
彼の笑顔は・・思うにこの時が最期だったと思う・・・
この日の夜中・・・
私がウトウトした一瞬の間に、ひとりでトイレに行っていた彼・・・
うまく拭けずに、着衣を汚してしまったらしく洗面所で裸でいる・・・
お湯で清拭をしたあと、新しい服を着せてあげベッドへ・・・
レスキューを飲んでも、落ち着かない・・・どこに座ってもだめ・・・
居場所がないのだ・・違う。身の置き所がないのだ・・・
そしてトイレへ何度も行く・・
血便?褥瘡保護のテープも剥がれかかっている・・・
ベッドに戻り、ほんの少し落ち着いたところで彼が言った・・・
「明日、入院するよ」
実はこの日、院長先生に往診に来ていただくように話しは出来ていた
もう限界だと思えた・・・
「痛み」じゃなかった・・・そう思っている・・・
彼がgive upを告げた原因は「呼吸苦」だと・・・そう思っている・・・
この時、本当に「安楽死」「尊厳死」このような言葉の意味がはじめて
理解できるような気がした・・・
もしも彼が、私に「お願いだから楽にしてくれ・・」と懇願したなら
私は彼を強く強く抱きしめて、窒息死させていたかもしれない・・・
「入院するよ」・・彼は最期まで彼らしく、そう言った・・・
3月1日の昼、ゆふみ病院に向かった
「今日病院に来なかったら、そのまま家で逝っていたでしょう」
そう告げられながら、院長先生はじめスタッフに迎えられた・・・
本当に穏やかに幸せに過ごせた二人きりの2ヶ月間の在宅ケアだった。
二人で過ごす時間が、少しでも長く続きますように・・・
そう願って・・ 繋げてきた二人の時間・・
在宅ケアを始めて2ケ月が過ぎた頃・・
彼の体は、限界を迎えようとしていた・・・
浮腫の出現と共に排便に変化が現れた・・・
オキシコンチン他、モルヒネの多用で、それまでは何種類かの
下剤を状況によってチョイスし、排便コントロールを行なっていた。
それでも、うまくいかずにトイレで摘便することもあった。
それなのに1日に何度もトイレに行く彼・・
酸素をつけたまま、じっと座っている。様子を見て介助する時
思わず声が出そうになった。
白い便がでていた・・・・
彼自身は、本能的に動いている。最期の最期まで排泄においては
無意識的にトイレに向かっていた・・・
私は、「ポータブルトイレをレンタルしようか?」と提案した。
すると、彼の反応は良くて「それはいい案だなぁ・・kyoちゃん頼むよ」
と言ってくれた。私は以前勤めていた病院に行き、ケアマネさんに
介護用品のカタログをもらった・・・
一旦家に帰り、「買い物に行ってくるからね」と言うと、少し不安気な
表情をした後・・「一緒に行くよ!行ってもいい?」と言う。
ほんの一瞬だけ迷ったけれど、彼の気持ちを大事にしたかった・・
こうやって、私たちは「いつ死んでも後悔しない」ように・・・治療も
やりたいこともやってきた。この時の彼が、どうして一緒に買い物に
行きたいと思ったのかはわからない・・・ひとりで留守番するのが嫌
だったのかな?それとも、本職の域でやりたい事でもあったのかな・・
幻覚がたくさん現れるなかで言った彼の言葉だったけれど・・なぜか
連れて行ってあげたかった・・・
マスクを着けてあげて、助手席に座らせてあげる・・
いろんな景色を見たいのに、意識はついていかない・・・
呼びかけても、目を開けるのは一瞬・・・
時々、ハッと目を覚ます・・「どうしたの?」と聞くと・・「鳥がたくさん
車の中に入ってくる」と言う。そのあと、「日本民族が愛おしい」と呟く
彼に、いつもと違う・・・そんな気がした・・・
買い物先のスーパーでも、やっぱり自分も行く!と言う彼・・・
とりあえず、私はカゴを持ち、彼を脇からしっかり抱え込む形で腕を
組み、彼の動きに合わせた・・・
彼の容姿は「生気」がなかったんだと思う・・・すれ違う人たちが皆彼を
見ていた。彼は周りの視線など、どうでもよかったみたいだ・・・
食べたいものなのか?うちの子に食べさせたいものなのか?よくは
わからないけれど、肉や魚だけをポンポン買い物カゴに入れていった。
その2箇所で限界のようだった。
とりあえず、カゴをレジの側に置き、彼だけ先に車に連れてゆき・・・
助手席に座ってもらった・・・
携帯酸素ボンベを持ってきていなかった為、このくらいが限度だった。
買い物をしていた時の、彼の真剣な眼差しが今でも忘れられない・・・
その瞬間だけは、癌と診断を受ける前の料理人の彼の眼差しだった。
私は、彼が料理をしている時の、真剣な眼差しが大好きだった・・・
幻覚と現実と交錯する中で・・確実に変化していく彼の体のすべて・・
壊れてゆくDNAたち・・・
冷静に見えていなかった現実・・直面する現実・・・
せめて、痛みが・・苦しみが・・小さいものであるように・・・
幻覚の間に見える現実の彼の前に・・一本の道が見えた気がした・・
在宅酸素を 開始してみたものの・・・
実際のところ、彼自身の口からは「楽になった」との言葉は
なかった。トイレに行く時も、お風呂に入る時も はずしている・・
でも、息苦しいとは言わない・・・
本当に酸素が必要なのは、やはり痛みが出現した時なのだ・・
痛みが強まり、レスキューが効くまでの間・・痛みに耐える時間は
どうしても体に力が入ってしまうのである・・・
それを避けるために、痛くなる前にレスキューを飲むようにしていた。
痛くなってからでは、間に合わない・・・
それでも・・痛みの波は穏やかなものではなかった・・・
手を握り・・肺の近くに手をあて・・一緒に乗り越える・・
そんな時間を繰り返していた。
痛みの強まる時には、O2量を上げ・・治まったなら下げる・・
痛みの波を乗り越える時の お守りのようなものだった。
夜中は、1時間おきに「痛いよ」と言うようになってきた・・・
レスキュー薬「マルピー」ばかりを1時間おきに飲むわけには
いかない・・・ケタラールを飲んだり、ボルタレン坐薬を入れたり
湿布を貼ったり・・
どうしても、免疫力の低下する夕方以降・・・
そして真夜中にかけての痛みは、酷いものだった・・・
私は寝る時、彼の体に自分の体をくっつけ、彼の体勢に合わせて
寝ていた。そうすると彼が動けば すぐにわかるからだ・・・
この頃・・彼の体は「身の置き所がない」と言われる状態になっていた。
特に夜から夜中にかけては・・・定位置のリクライニングチェアーから
すぐ隣りのソファーベッドに移ってみたり・・奥の部屋のベッドに行き
壁にもたれかかったり、クッションを重ねて寝てみたり・・
30分も同じ体勢でいることは難しかった。平らに寝ることも前かがみ
で寝ることも、無理だった。
私は酸素の延長チューブを持って・・彼のポジショニングが一旦は
納まるまで、側で見守り手伝うしかできなかった。
彼は自分の力で、自分の生きる場所を探し出しているのだった。
一時的にせよ、ポジションが決まると、彼は必ず私の方を見て・・
「おいで」と笑ってくれた。精一杯の愛情がそこには在った・・・
足の甲・・下肢・・手先・・瞼の浮腫が顕著に現れていた・・・
何とかしたい・・何とかしてあげたい・・・
院長先生に往診してもらおう・・・そう思い始めた。
彼の旅立ちの2週間前のことだった・・・
明らかに 心も体も免疫力の低下が顕著だった・・・
もしも・・私が1看護職の人間として彼の全体像を捉えることが
できたなら、この時点での彼の状態は完全なるターミナルの・・
しかもカウントダウンできるような臨死状態に近い状態にいたと
冷静に見つめる事ができたかもしれない・・・
息子さんの入院・・手術で、自分のパワーを使い切ったかのように
彼のレベルは落ちていった・・
「kyoちゃん・・酸素頼んでくれるか?」最後の最後まで躊躇っていた
酸素を自ら頼んでくれという彼・・・
呼吸苦は、かなり深刻に押し寄せてきたのだろう・・・
在宅酸素は、彼の中でのひとつのボーダーだった。
私は、どう言って彼を説得させよう?と考えていたHOT開始のタイミング・・
それを彼自身が求めてきたのだ・・「キツイんだ」・・そう思った。
私は、すぐに ゆふみ病院にTELして 在宅酸素の開始を申し出た。
院長先生が、すぐに対応してくれ処方箋を貰いに行き、その日のうちに
業者の方がHOTを持ってきてくれた・・・
HOTとは、Home Oxygen Therapyの略で在宅酸素の事を総称としていう。
慢性呼吸不全、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の患者さんが主に使用され
ているもので、在宅で使用するのは 酸素濃縮装置というものが主です。
空気は約21%の酸素と、78%の窒素、そして1%の その他のガスから
成り立っていますが、この装置は室内空気から窒素を分離して、酸素を
濃縮して連続的に発生させ、約90%の酸素濃度を保っています。
このHOTをレンタルして、どのくらいの費用がかかるのかというと
医療機関(主治医)が患者さんの病状を検査し、処方をおこなった時に
支払われる技術指導料と、患者さんの病状や生活環境に合わせて
貸し出される酸素吸入用装具の加算料があります。
在宅酸素療法は原則的に健康保険が適用されますが、酸素代を含め
実際にかかる医療費の3割が患者さん負担となります。(老人保険適用
の場合は1割or2割) 1番多い形態である酸素濃縮装置と携帯用酸素
ボンベを使用した場合、在宅酸素指導管理料25000円+装置加算料
46200円+携帯用装置加算料9900円=81100円で 患者さん負担
は24330円です。
対象となる患者さんは、動脈血酸素分圧55Torr以下(SPO2だと88%)
もしくは60Torr以下(SPO2で90%)で睡眠時or運動負荷時に著しい
低酸素血症をきたす者という基準がありますが、彼の場合「肺癌末期」
それだけで十分な理由だったんだと思う・・・
「呼吸苦」・・・「閉塞感」・・・これらは「痛み」よりも辛すぎる・・・
「辛い」という言葉では言い表せない気がする。
空気を吸っても吸っても、肺は その空気を全身に送れないのだから・・
彼が亡くなって、しばらく経った頃見た・・彼が長男に送ったメール・・
在宅酸素を始めた日に送ったものです・・・(原文そのまま)
おはよう
今日、寝そべってみました。
ミノムシのように 這うこともできなくなっていました・・・
もうすぐ全身麻痺になるんだろうと 不安で仕方ありません。
そうなる前に1度会いに来てください。
何度読んでも、涙がでてきます・・・
長男の帰宅予定日の1週間前に送られたメールでした。
kyo