癌((がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!心と体のケア法☆

彼の癌と共存した2年間で学んだ癌の知識、試した癌の治療法・抗癌剤、代替最先端治療、サプリ、ホスピス、在宅ケアまでの全ての情報を 今、闘病で辛い想いをされている方に伝え、少しでもお役に立てればとの想いから発信する実体験ブログ

ホスピス

投薬中止・・最期の言葉をー【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

それぞれの想い・・胸の内を聞いた院長先生が
午後イチでドルミカムの投薬を中止してくれた・・・
「1時間ほどで覚醒してくるはずなので、それぞれ最期の
言葉をかけてあげてください」言われて退室された・・・

呼吸を見ていると徐々に意識が戻ってきているのがわかる・・・
酸素マスクが、彼の呼吸のリズムにあわせてずれていく・・・
私の娘が、彼の酸素マスクをはずして・・口の中を覗いた。
舌苔を見つけたのだ。絶飲食の状態になってわずか2日間の間に
下の上は、感染症の影響もあって真っ白だった・・・
人間にとって、口から物を摂取するという事が どれだけ大切な事で
あるかを再認識させられた。

同意を求めるかのように、娘が私に視線を送るので・・私は黙って
頷いた・・・彼女は口腔ケアをしたいのだった・・・
丁寧に・・本当に丁寧に酸素マスクの下をかいくぐって
彼に語りかけながら口の中を綺麗にしている・・・
娘の彼に対する想いなのだろう・・・そして「まだまだ生きてよ!」と
いうメッセージなのだろう・・・

1時間後・・院長先生が訪室・・覚醒を促す。
彼に呼びかけ・・「わかりますかー?長男さんが来てますよー」
「みんなも来ていますよー」耳元で呼びかける・・・

突然・・彼が起き上がった。みんな驚いた・・・
誰が促したわけでもないのに、彼はいきなり遺言を始めた・・・
どこそこに、いくら預金があり、この銘柄の株が何株あって・・と
不動産に関しては、必ず遺言書のとうりに・・というふうに
父親の顔をしていた。酸素マスクをつけていて言葉が篭るのに
気付いた彼は、「何だよ、これ・・邪魔だよ・・」といって自ら外した。

堰を切ったかのように・・いくつかの伝言をした後、きつくなった彼は
自ら横になった。院長先生が側に行き、「みなさん側にいますよー
みなさんに伝えておくことはないですかー」と語りかける。
彼は、みんなの顔を見渡しながら頷くものの、喋らない・・・いや・・
喋れない・・・

「親父・・ありがとうな・・俺、親父の子供に生まれてきて幸せだったよ」
「俺の親でいてくれてありがとう・・・」

「看護学校に行かせてくれてありがと・・頑張っていいナースになるから」

ぽつり、ぽつり・・それぞれが彼へ想いを伝えている・・・

彼が意識を取り戻した、あの一瞬は何だったのだろう?
魂が肉体を超えて、語ったのだろうか・・・
目の前の彼は・・動きはあるものの、意識混濁状態である・・・

見守るしかない・・・祈るしかない・・・
時間がどんな早さで流れているのかも わからない・・・

彼の次男が・・いつのまにかDVDを持ってきた・・・
長渕のライヴを流し始めた・・・
「聞こえてる?みんなでバーベキューした時に流したDVDだよ」
「keep on Fightingだよ・・・」みんな、あの海での楽しかった夜を思い
だしていた・・・
「しあわせになろうよ」が流れた・・・全員、声を出して泣き出した・・・
この曲は・・今でもみんな聴けないでいるー
あまりにも彼そのものすぎるから・・・

時間だけは確実に過ぎているようだ・・・
ホスピスで2部屋用意されている家族宿泊室を借りた・・・
私は、眠る・・という行為を忘れていた・・・
彼の手を握り続けて・・丸3日目を迎えていた・・・

何かに導かれるように、私はテラスに出た・・・
寒さのなかで・・・煌く星達・・・
この頃すでに真夜中には、オリオン座が南中していた・・・
シリウスがひと際輝いてる中で・・・私はふと違う輝きを感じた
目の前の庭に・・彼と秋色を集めた紅葉の木の隣りにある
名前も知らない小さな木の茂みがキラキラしていた・・・
何かがいる・・・何?

真っ白い服を着た、妖精たちが羽ばたいていた・・・
笑いながら・・・優しく微笑みながら・・・キラキラ・・キラキラ
「大丈夫、大丈夫」そう言っているように感じた

幻覚なのか・・・何なのかはわからない・・・
ただ、妖精たちがいたのは本当だ・・・
「大丈夫なんだ・・・」その時、確かな予感があった・・・
何かが奪われてゆくのではない・・・
何かが届けられた・・・そんな気がした・・・

昏睡状態→危篤 【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

明け方から、呼吸困難を起こし
目の前にいるのは、酸素マスクをつけ 嫌いな点滴をし
目を閉じたまま喘いでいる彼
呼びかけても 返事は返ってこない・・・
ただ・・・呼びかければ意識下で答えようとするのか
乱れた呼吸が、呼びかけた瞬間リセットされる・・・

「痛いよ」「苦しいよ」って言わないの?
「点滴は嫌だって言っただろ!」って言わないの?
体がもうギブアップなの?
問いかけても・・答えは返ってこない・・・

癌性疼痛に塩モヒと・・閉塞感を緩和する為にドルミカムを使い
ギリギリのラインで現状を保っている状態だった。
薬の量を増やすと、呼吸抑制を起こすので・・
なんとか長男がくるまでは・・・と院長先生は、何度も何度も
部屋に来ては 彼の状態を確認して下さった。
ただ・・・表情は厳しいものだった・・・

緊急連絡から1夜明け 朝10時過ぎに長男が到着した。
ここでは色々書く事はできないけれど・・偶然にも日向のあたりを
航海中で、本当にすごいタイミングで こんなにも早くたどり着く事
が出来たのだった。
父親への想いが幾つかの偶然を起こしていた・・・

癌になったと告げられた時から、「いつかはこんな日が訪れる」
そう覚悟はできていただろうが・・・細々とした現実の状況が
見えない長男にとっては、認められない現実だったと思う。
メールのやり取りでも、TELで話す時でも・・その瞬間の彼は
「まだまだ大丈夫!」「悪運強いからな!」としか言わなかった。
ただ「いつ、どうなるかはわからないから・・」と遺言状は早々と
渡し、思いつくままに自分がいなくなった後のすべき事、して欲しい
事は伝えていた。

目の前の父は、酸素マスクをつけ 意識がない・・・
長男は・・何も言わない彼の側に座り・・ただ呆然と見つめていた。
どれくらいの時間が流れただろう・・はっきりと覚えていないけれど
しばらく経った頃、ムンテラ(インフォームドコンセント)が行われた
息子さん2人・・そして私の、今の 彼に対するそれぞれの想い・・
希望を率直に聞きたいというものだった。

まずは院長先生が、今の状態を素直に告げる・・・
1晩持ちこたえてくれたのも奇跡的であること・・今は癌の痛みと
共に、肺炎による排痰困難な状態が呼吸苦を招いていて・・
彼は1番きつい状態にいるとの説明・・・
彼の痛みやきつさを緩和してあげるには薬しかない・・・
けれど、その薬を使えば・・それは彼との別れを意味する。
苦悩の表情で・・院長先生は言葉を選択して説明している。

次男が突然席を立った・・・いたたまれなかったのだ・・・
そんな現実など・・認めたくなんてない・・・
そんな気持ちなのだろう・・痛いほどによく解る・・・
ラウンジの反対側をウロウロ行ったり来たり・・
涙を拭いながら歩いているのが見える・・・

長男は、父ともう一度話しがしたいと言う。
伝えなきゃいけない言葉がある・・と
薬を止めて欲しいと・・
院長先生は、今の彼の状態で薬を止めるのは、生き地獄の
状態に等しい・・けれど家族の想いも大切だから・・と言う。
院長先生は、私のほうを見た・・・
私は、素直に語った。

このホスピスにはペインコントロールのために来たのであって
彼は今、ここで最期の時を迎える覚悟できた訳では決してない・・
彼はまだ、みんなに・・そして私にも伝えなきゃいけないことがある
このまま逝かせたら、みんなの心が止まったままになってしまうし
彼も後悔すると思う・・・だから・・・
あとは・・・言葉にならず涙が溢れるだけだった・・・
院長先生が奥からティッシュの箱を持ってきて、私たちの前に
そっと置き・・しばらくみんなが泣きじゃくる姿をじっと見守ってくだ
さった。

そして・・・「午後から、彼の薬を止めるので・・それぞれの想いを
伝えてあげてください」・・と言われた。
先生も、そして同席してくれていた担当の看護師さんも泣いていた。

彼にもう1度逢える・・・それだけでいい・・・多くは望まなかった
愛しくて、愛しくてしかたなかった・・・

肺炎→危篤→祈り・・【癌(がん》と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

肺炎を起こしながら・・平らな姿で よく寝ている彼・・
手足の浮腫も減った気がしていた。
時々「ぽッ」なんて言いながらも、真夜中痛みで起きることも
なく・・本当によく寝ている・・・

私も安心して少し眠りについた・・・

5時半・・トイレに起きた彼は、トイレまでの数メートルの移動後
呼吸難を起こしていた。痰が詰まっている感覚があるようなので
ネブライザーをかけてあげたが・・うまく排痰できずイライラしてる。
30分程して、少し落ち着いたのかウトウトし始めた・・・

体の動きがすごい・・・夢の中で泣いている・・・怖がっている・・・
闘っているの?何がいるの?
明け方3リットルに上げていたO2を4リットルに変更・・・
この時点でカニューレから酸素マスクへ・・・

何だかドラマを見ているような変な感覚だった・・・
彼はテレビで酸素マスクをつけたシーンを見るたびに
「俺も最期は、あんなふうにマスクをするようになるの?」と
気にしていた。私は「そうだね・・肺癌に限らず、呼吸器疾患の人は
どうしても呼吸苦が起きるから・・・」そう言うと「マスクは大げさだから
嫌だなぁ」と言っていた・・・

現実は、彼は意思を伝えることもできない・・・閉塞感に喘いでいる
KT37.6・・・30分後O2を4,5リットルに・・・
同時に持続性皮下注に変更・・・
院長先生から・・息子さんを呼んでいたほうがいいと言われる。

問題は彼の長男だった。海上自衛隊に勤務する長男は
航海の最中だったのだ・・今何処にいるのか・・・
とりあえず、緊急連絡先に連絡をいれてもらう・・・

私の子供にも緊急連絡をし、すぐに来るように伝えた。
私たちは、迷った揚句・・彼の実のお姉さん、弟・・友だちには連絡をし
なかった。
それはホスピスに入院する前からの彼の強い希望だったから・・・
彼は自分の最期の姿は、弱った姿は見せたくないと強く願っていた。
みんなに非難されるのは覚悟の上で、彼の意思を尊重したかった。

彼は闘っている・・闘い続けている・・・院長先生は何とか長男が
くるまでは・・と全力で薬の量を調整してくれている。
この時点で塩モヒは皮下注から静注点滴にしていた。
院長先生は今夜がヤマだと言う・・・

このまま逝かせてしまうことなんて絶対にできない!
このホスピスには、ペインコントロールのために来たはず・・・
ここで今最期を迎えるために来たんじゃない!
絶対に諦めない!
彼の手を握り締めながら・・私の心のメッセージを伝える・・・
ずっとずっと伝え続けた・・・
「祈り」・・そう、彼の魂へ祈り続けた・・・
「違うでしょ・・」「まだやらなきゃいけないことあるでしょ・・」
「「言わなきゃいけないことあるでしょ・・」
「大阪行くんでしょ・・」「クリスマスの花火見に行くんでしょ・・」
  祈り続けた・・・祈るしかなかった・・・

肺炎併発・・思いがけない事態に・・【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

オキシコンチンを飲んで少しウトウト眠った彼・・・
やっと朝がきた・・もうすぐ院長先生が来てくれる・・

こんな状態でも、彼は食事の時間になると・・きちんと起きて
「一緒にごはん食べよう!」と言ってくれる。
彼が食べないと、私も食べない事を知っているからなのか、
必ず形だけでも、オーバーテーブルをはさんでベッドの上で
向かい合って食事を取った・・・
もちろん、彼は病院の食事には殆ど手をつけない・・・
納豆ごはんや、明太子ごはんに汁物といったパターンだった。

この頃になると、好きなものしか食べないこと・・そして、いわゆる
「癌悪液質」を起こしているのか、低栄養によるエディマが顕著だった。

下肢の浮腫は・・普通の靴下が履けないほどで・・最初にこの症状に
気付いた時には、かなりのショックを受けた・・・
彼は「足がゾウさん」なんて言って笑っていたが、私は笑えなかった。
大阪の師長さんにTELで対処法を聞き、毎日リンパマッサージを
続け、アドバイスいただいたプロテインを彼に勧めたけれど、
プロテインは嫌だと却下された・・・

低蛋白による症状なので、とりあえず食事にはタンパク質の含まれる
ものを取り入れていた。

朝食の後、「大阪は何時に行くんだっけ?」と言う・・
「今日はこの状態じゃ無理だよ」と説明してみたけど「今行けなかったら
ずっと行けんよ」って 真顔で言う・・・「行けるためのコントロールを 今
一生懸命やってくれてるんだよ」と言うと納得?というか、この時点では
ほとんどウトウト状態だった・・・

11時半にやっと目を覚ます。
彼が起きた事を知った院長先生が訪室され、薬変更の説明をされる。
持続性点滴or経口量を減らしケタラールシロップ服用・・の選択肢

彼の訴えは元の薬の量に戻して欲しい!原点に戻したいというもの
だった。点滴はあくまでも拒否だった。
希望どおり、元の薬の量で換算したディユロテップパッチ+レスキュー
+ボルタレンで対応という形に変更された。

モルヒネで緩和されない痛み・・骨転移などによる体動時の痛みには
消炎鎮痛薬のほうが効果がみられることの方が多いという。
念願?のディユロテップを貼ってもらって 嬉しそうな彼は、ちょうど
息子さんが来たということもあって、「散歩に行こうよ」というので
車椅子に酸素を積んで院外へ・・・

この時のサットは77だった(ありえない)けれど、どうしても外に出たい
と言い、車で音楽を聴くと言うのだ・・大好きな長渕のCDを聴き始め
煙草を吸おうとしたが・・吸えなかった・・・

どう動いても、新鮮な外の空気をすっても苦しいのだ・・・
すぐに部屋に帰ろうと言い、戻る・・・
院長先生が持ってきたポータブルのレントゲンで胸写を撮る

レントゲン撮影の結果・・いいほうの左肺の約半分が真っ白!
肺炎を起こしている上に・・かなりの痰の貯留が認められた。
右肺は癌腫瘍で、殆ど呼吸機能は果たしていない・・・
左肺でかろうじて呼吸していたのに・・この状態では呼吸が
できていないのだ・・・酸素を送っても取り入れられていないのだった。

すぐに抗生物質のパンスポリンが点滴される。
彼はオキシコンチンを中止して、吐き気もなくなり頭がスッキリしたと
喜んでる。それでも定期的に襲ってくる痛みは変わらず、レスキュー
で対応する。
夜遅くに、おなかすいたよ!と言い夕飯の残りを食べて・・
落ち着いたのか、すぐにウトウト・・・
夢?の中で「先生、血液検査の結果は?」と言っていた・・・

珍しくベッドのギャッジアップを平らにして、まっすぐ寝ている。
何ヶ月ぶりかに見た、この光景に感動した。
これが本来の・・自然な姿なんだよね・・・
手足の浮腫も、少し減った気がした・・・

でも、この感動も一瞬のもので・・この後・・明け方になって彼に
変化が現れてきた・・・肺癌にとっての致命傷→肺炎による
「急変」だった・・・

モルヒネの副作用【癌(がん)と共存!愛は癌(がん)よりも強し!】5

モルヒネを飲んでも飲んでも・・痛みは軽減しない・・・
私の心は不安だけが増していく。

経口投与によるペインコントロールは、結局は自宅での
ペインコントロールにモルヒネ量を上乗せしたものでしかない?
そう思えていた。
彼を説得して、モルヒネ静注によるペインコントロールに切り替え
てもらうしかないと考えていた。
今の状態で大阪に行くのは無理だった。
SPO2が低い状態で飛行機に乗る事は あまりにも危険だ・・・
急変したら・・大阪で入院という事になる。

この時点で、内服のオキシコンチンは80/回
そして、レスキューも50/回を4〜6時間間隔で服用していた。
食欲はなく、トイレに行けば嘔吐・・
幻覚も、「死者の国からの動物がそこにいるよ・・大きな角のはえた
ヤツだよ」そんなふうにリアルなものになっていた。

息子さんがきたので、一応大阪行きの荷物を取りに私は自宅へ
戻った。大急ぎで30分後に病室に戻ってきたら、休日当番医の
先生が訪室中で・・彼と話しをしていた。

先生の意見としては、まずキシロカインを点滴し、モルヒネも経口
ではなく点滴に切り替えたほうが効果があると思う・・との説明が
行われていた。

けれど、どうしても彼の中では「点滴=最後の手段」との想いが
強いのと、点滴だと大阪へ行けないと思うのか・・・即断る彼・・
そしてありえない話しだけれど、素人感覚の素直な希望として
デュロテップパッチを貼って、尚且つオキシコンチンの内服したい
と申し出たが・・勿論それは却下された。
コントロール量が又変わるし・・デュロテップパッチは効くまでに
半日かかり、今飲んでるコンチンよりも 効果が弱いと説明された。

彼は、何も答えなかった・・・
サチュレーションが低かったのに加え、先生とのやりとりで興奮
したのか、呼吸が乱れていたので 彼を説得してO21ℓを開始
してもらった。サットはこの時80ちょっとしかなかった・・・
1時間ほどO2を流したら92に復活・・呼吸が安定したせいか
よく寝ている・・ひと安心した。

真夜中3時・・ふと目を覚ますと彼はベッドで座っていた。
ちょうど夜勤の看護師さんが巡回にきて、彼にレスキューの服用
を促したけれど、いらないと断った。

5時に痛みで目覚め、レスキューを飲む。
「危篤なの?俺は」って聞くので「全然!」って答え背中をさすると
「ホントに?」と頷いて横になった。
そのまま1時間ほど背中をさすって落ち着いたかのように見えた
けれど、突然起き上がりテラスへ・・・

ベッドに戻って6時のオキシコンチンを飲むがキツそうにしている
O2を2ℓにあげる。ウトウトしながら「kyoちゃん・・明日、大阪行けそ
うにないなぁ」と寝言のようにつぶやく・・・

早く院長先生が出勤することを ただただ願った・・・
彼の今のこの状態を、早く何とかしてほしいと思った。
長い夜だった・・それでも朝は必ずやってくる・・・
彼への希望も・・必ず・・・

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