「想い出を語る会」第2部は・・・
おそらく病室についで、各家族にとって大切な方との
想い出が散りばめられているであろうラウンジでの
お茶会を兼ねた「想い出を語る」そのものの場となった。
院長先生他、2名のドクター・師長さん・薬剤師さん・・・
そして、当時の担当ナースを交えて、いろんな想いを超えての
涙あり、笑いありの緩やかな時間の共有である。
私たちは彼の生まれ変わり?の「ほのか」がいたこともあり
ラウンジの一角にあるプライベートルーム(と彼と言っていた)の
暖炉の前に席を取った。
彼は、この暖炉の火の温かさを とても気に入っていた。
温もりと共に、一段低い所に位置するこの異空間は
なんだか「隠れんぼ」をしてるようで・・いつも秘密基地にいる
子供が得意気に外の様子を覗いているような・・ヤンチャな顔を
して座っていた・・
そしてある時にはモルヒネの副作用の中でまどろみながら・・
ある時は・・痛みの中で自身の命を見つめながら・・・
さまざまな「彼」がここにはいた・・・
もちろん、2度目の限界時における入院の時には・・この秘密基地
にくることはできなかった。
ゆふみ病院の何処に彼の想いがいるのかと言えば、私は院内に
おいては迷わず この空間だと思う。
あとは玄関からでた庭だ・・・
そこで煙草を吸いながら聴いた竹林の音楽会・・・
雄大な由布・鶴見岳を眺めながら見送った真っ赤な夕日・・・
そしてロータリーから見上げる天然のプラネタリウム・・
手を伸ばせば落ちてきそうな満天の星達・・・
この空間に彼は佇んでいる・・・そう思えた・・・
1年という時が過ぎてみても・・・彼の肉体という形がないだけで
彼が存在していないという感覚がまったくない・・・
彼の死を認めていないとか、側にいてほしいと願っているとか
そんな感覚もない・・・
無理に封印したものもないし、あえて捨てたものもない・・・
ただ私は、このアパートの8階からは引っ越したいという想いだけは
募っている。大地を踏みしめられる所、土に触れながら暮らしたい。
そんな気持ちで悶々と自分の感情を閉じ込めて過ごしていた。
できない言い訳で1方向からの視界を視野のすべてと思い込んでいた
昨日、視野の角度を変えるという原点を思い出すことができた。
私の体内に存在するかもしれない「固まり」は案外「心の凝り」
そしてずさんな体の管理への警鐘なのかもしれない・・・
そして、それは「俺の所に飛んでくるのはまだまだ早いよ」って
彼がメッセージを送っているのかもしれないな・・・
人の心の声・・人の痛みの声ばかりを聞こうとして・・私は私の体の
発している声を聞いていなかったのかもしれない。
私の体は、私が作り出したものじゃないということ・・所有物ではない
魂→心を同居させてもらって管理をまかされているのだということ。
メンテナンスは日々の積み重ね・継続が大切だということ。
それを実践していく継続というプロセスが魂→心の課題なのかな・・
見栄え、形でなく、本質、内容そのあたりが体にもあてはまる気がする
思うばかりでなく、言うばかりでなく・・・
バーチャルではなく体験して感じること・・・そこから生まれてくる感謝
生かされているという感謝が溢れたものが「心の余裕」なんだろうな・・・
この「想い出を語る会」の緩やかな「命を想う」空間に参加したことで
私の心はやっと春に向かって踏み出した気がした・・・
時間の流れという言葉の中で・・薬剤師さんと彼の想い出を話していて
彼の痛みには「ケタラールシロップ」が効果抜群だったよねーという話しが
出たのだけれど、なんと今年の1月から彼のような使用法は禁止になった
とのこと・・・それとレスキューの新製品オキノームがでたとの話し。
ケタラールはそもそもは麻酔薬で静注(IV)で使用するものだけれど
彼のように末期の疼痛コントロールに奏功する例もあるのに、詳しい
理由はリサーチしていないけれど、モルヒネが効かない場合の薬の
選択肢がひとつ禁止されたということは、なんだか納得いかない気がする
こういうのって誰が決めるんだろうな・・・
今日、大分でもソメイ吉野の開花宣言が出された・・・
近いうちに、またゆふみ病院のしだれ桜を見に行こうと思っている。
患者さんのひとりSさんとの約束である・・・