活性化リンパ球療法を受けながらも
痛みが軽減しない事と、次なる治療の事も含めて・・
院長に、「オーキャット(OCAT)に行ってみるか?」と言われ
思わず「にゃん」と答え、笑われてしまったが、OCATとは要は
大阪シティエアーターミナルの略で、そこの予防医療センターで
 ;PET検査を受けてみようということなのだった。

PET検査のことは、彼が癌だとわかる少し前に、大分でも別府に
最先端の機器を導入した検診センターができたということで
地元の新聞で取り上げられていたので「凄いねー癌の早期発見
にいいかもね」という話しをしていた。
ただ費用が凄く高いという記憶があった・・(たしか開発当初という
こともあって20万近くかかるとか)

その金額のことが頭をよぎる間もなく、院長が「今回は保険がきく
から・・」と言ってくれたのだった。
癌患者等で医師が治療に必要と診断すれば、保険適用となるとの
こと・・(少しホッとした。)
健康診断の場合は、センターやコースによって差があるようだが
調べてみたら10万〜15万位かかるみたいだった・・

すぐに連絡を入れてくれて、次のリンパ球投与日にあわせて予約
を入れてくれた。

クリニックを出て、帰る道すがら・・彼が「今度の検査にはひとりで
行くよ」とポツリと言った。
その言葉に驚いた・・そして正直ショックを受けた・・

「どうして?」と聞くと・・「これから、まだまだ治療や色んな検査をしな
ければならなくなるだろうし、麻薬の量も増えていくと 治療費もかさん
でくるだろうから・・今まだ、ひとりでも行動できる間は頑張ってみるよ
大阪への旅費も、こんなに頻繁にくるとなると馬鹿にならないしな・・」
私は・・彼のことを理解しているようで、肝心な部分に配慮できていな
かったことが もの凄くショックで・・しばらく言葉がでてこなかった・・
そして「わかった」とも「心配だから一緒に行きたい」とも言えなかった

ただ、その言葉の隠された部分に、私の仕事(を休まなければならな
い事)に対する配慮があることは 言葉にして言わないが十分伝わっ
てきた。経済的な部分も本音であることは間違いないだろう・・・
けれど私が納得できる説明としては、そう言うしかなかったのだろうと
思うと、すごく切なかった・・やるせなかった・・

こうして彼は ひとりきりでPET検査に・・そしてリンパ球投与へと・・
私は、伊丹空港からOCATへ・・そしてOCATからクリニックへの
道順を事細かに書いた紙を・・そして1泊グッズもできるだけ荷物に
ならないように準備して彼を送り出した・・

この頃、彼は自分で運転するのもギリギリの状態だったので・・
大分空港までの1時間半の道のりも心配で、見送った瞬間から
私自身の中での後悔は始まっていた・・

この日ばかりは仕事中も携帯はポケットに忍ばせていた・・
伊丹空港に着いた時・・OCATに着いた時・・PET検査が終わった時
そしてクリニックに着いた時・・すべてメールで知らせてもらうようにした
彼からは、「空港だよー」「OCAT着いたよー迷子になりそうだよ!」
「今コーヒータイムだよー」「ちゃんとクリニックこれたよー」と・・
母と幼い子供の冒険のようなやり取りが続いた・・・

そんなやり取りも、夜になると・・「寂しいよー」「ひとりだと退屈だよ」
「眠れないよー何してるの?」と心細いメールになってきた・・
私は時間を早送りしたい気持ちでいっぱいだった・・・

眠れない時を過ごし・・翌日昼に帰ってくる彼を待った・・・
そして・・最初で最後の別行動はこの1度だけだった・・・

そして、彼が持って帰ったPET検査のフィルムを見て愕然とした。
彼の右肺の癌は、あまりにも活動の炎を燃やし始めていたのである。
ショッキングすぎるほどリアルな画像に涙がでるのをおさえられなかった
癒着による彼の湾曲した体の線までが、はっきり映し出されていた・・
あまりにも無情的に・・・
今後どうやって癌と共存すればいいというのだろう・・・
時間がない・・・そんな予感だけが頭をよぎった・・・