自分が余命宣告を受けた時・・・
誰でも 自分の身辺整理の事を考えるのではないでしょうか
彼の場合、即行で自分の生まれ育った場所、国立・・・
つまりは東京への旅行を計画→実行しました。
その時から、ケモの合間を見ては毎月のようにアチコチに
想い出作り旅行に・・・

そして結婚指輪の購入・・・
同じ時に、持っていた株券の整理・・・銀行と・・・
とても慌ただしく活動していました。

自分(本人)でなければ わからない事を動けるうちに・・・
という思いから、限られた仮退院の時間の中で
動いていました。
その中のひとつに「遺言書」の作成がありました。
私は・・正直、彼との時間が本当にカウントダウンされているようで
便箋に向かっている姿を見るのは嫌だったのですが・・・
すごく楽しそうに書いている彼に巻き込まれて、漢字が違うよ!
とか・・いつしか一緒に文章を考えていたり・・・
実際、不動産の贈与の件で家裁でみんな集合して
遺言書を開封した時には、彼らしいお茶目な文章表現に
みんなで爆笑しましたが・・・

この頃は、私たちの視野に「リビングウィル」という言葉は
入ってこなかったんですね・・・
遺言としては生前に「葬式の形態」と「仏壇の事(彼の亡くなった
奥さんや先祖の入った仏壇)」自分の骨の一部を石垣島の海に
散骨してほしい・・という細かいことは口頭で伝えられていた。

そして、癌の治療法・・最終的に緩和の段階においては
記事の中でも綴ってきましたが、彼の呼吸苦が限界に達したと
判断できた時点で、彼が選択肢として希望していたように
深いセデーションを行って頂き、愛しき子供たちに囲まれ
ゆっくり・・魂は肉体を離れ解放の旅立ちをしたのです。

彼の場合は、ある意味理想的な闘病→旅立ちだったのでは
ないかと思っています。闘病に理想的、という言葉が適当か
どうかはわかりませんが、最後、ギリギリのところまで、意思の
尊重がされたことは、幸せだったよなと思います。

どんな状況であっても最期の最期には「幸せだった」と思える
ことが1番なんだと思うから・・・
人の「死」って、ドラマのように感動的なものばかりでは決してなく
案外、突然に・・・あっけなく息をひきとったりすることの方が多く
何度もそういう現場に立ち会っている私の中では・・私もできれば
最期まで大切な人たちと意思の疎通がおこなえる状況である事を
願っています。

意思の疎通ができなくなった状況を想定して、私は私なりの
リビングウィルを考えておきたいと思っています。
医療とは、患者の苦痛を除き、元気に永く生きられるように
する事を目的にしている為・・本人の意識が無くなるか植物状態に
陥った時、意識のあった時の明白な意思表示がなければ、医療側
は延々と治療を続けなければならないとされているから・・・

尊厳死・・・まだまだ問題は多いような気がします・・・