「先生・・助けて・・行かないで下さい!」

覚醒する度に、起きようとする。立ち上がろうとする。
立ち上がることが出来ないのに・・
それでも動かずにはいられない・・

身の置き所を求めて、ただひたすら動こうとする彼・・
動くと呼吸苦が増強するので・・・
祈りをこめて抱きしめながら寝かせてあげる。
けれど、またすぐに起き上がる。

大きな声で彼の名前を呼ぶ・・
その瞬間だけ、私の顔を見て動きは止まる。
けれど、それは一瞬の事だ・・・
とにかく、じっとしていられないのだろう・・・

先生が安定剤の筋注をする為に、
彼の側を離れようとすると・・・
彼は、先生の白衣の裾を摑んで「行かないで!」
「お願いです。行かないで・・」と懇願した・・・
先生も泣いていた・・・
側にいた誰もが、どうすることもできず泣いていた・・・

安定剤を注射して、やっと落ち着いて眠りに入る・・・
先生から「もうあまり時間が残されていない事」を告げられる。
子供たちの職場に電話をかけ、すぐに病院にくるように伝えた。
みんながそろって、暫くした頃・・彼の長男が到着した。

長男は彼の要望(入院の前日に電話で話しをした時に、今度
帰ってくるときには、制服姿で帰ってきてくれ!制服姿がみたいよ)
そう言っていた。
長男は、さすがに横須賀から制服というのは出来ないので
ゆふみ病院についてから着替えて部屋に入ってきたのだった。
海上自衛隊の、真っ白な凛々しい制服姿で父の前に立った長男は
「親父!ただいま!約束通り制服で帰ってきたぞ!」
そう言うと、彼は目を開け「おう!」と苦しげな表情ながら
視点のあった眼差しで長男を見つめた・・・

ただ・・それも一瞬でしかなかった。
覚醒してしまった彼に、再び苦しみの時間が始まった・・・
あまりに苦しんでいる父を抱きかかえたり、寝かせたり・・
前回の帰省の時とは、あまりにかけ離れた父の姿を
必死に受け止めようとしている長男に 院長先生が声をかけ
部屋の外で手短かにインフォームドコンセントが行なわれた。
もちろん、次男と私も同席した。

それは、このままの状態はお父さん(彼)にとっては地獄でしかない事
以前に、お父さん(彼)の意思の範囲に、「最期は眠らせて欲しい」と
言っていた事・・の説明だった。
ただ・・それは眠ったまま確実に彼の生体機能は停止してゆく=死に
向かうということを意味していた。
呼吸抑制が起き、心停止・・・緩やかに確実に顎呼吸になり、酸素が
取り入れられなくなって(サチュレーション値が下がり手足の冷感→
チアノーゼの出現)そして血圧の低下を、ここにいるみんなで受け止め
見守っていかなければならないのだ・・・

長男の気持ちの中には、父に逢うまでは「親父は死なない!今度も
奇跡を起こしてくれる!」そう信じていたと思う・・・
そして実際に父を抱えた時に、不安ながらにも、父の生命力を
「信じたい!頑張ってくれよ!」という想いでいっぱいだったのではない
だろうか・・・そんな中での院長先生の言葉は・・簡単に受け入れたくは
ないことだったかもしれない・・・

長男は、再び部屋に戻り、あらためて父の苦しみを見据えた・・・
泣きながら「親父・・頑張ってくれよ」と言いながらも無意識に
起きて立ち上がろうと繰り返す父を抱きしめてから寝かせた後
院長先生に「お願いします」と頭を下げた。

「コントミン」と「ロヒプノール」
彼の苦しみからの解放に使われた薬は、モルヒネ+この2剤だった。

60兆個からなる人間の細胞・・・その中で増殖し続けた幾つの癌細胞
たちが、彼の体を走り回っているのだろう・・・
「眠りの世界」に旅立とうとしている彼を見つめながら・・・
何故だか、ふとそんな想いが頭をよぎった・・・

・・もう居場所を探さなくていいからね・・
・・みんな側にいるよ・・