ー中国医学における痛みのとらえかたー

中国医学の痛みの治療には、すでに「場」に対する想いが
こめられています。つまり、痛みに対しても中国医学では
その独特な診断法である弁証を行ないます。
弁証というのは、証を弁ずるということで、証とは場の歪みの
ベクトルです。その人の生命場が、現在 どちらの方向に
どれだけ歪んでいるかということが証となって現れるのです。

その証を弁ずる方法は四診といって、望(見ること)聞(音を
聞いたり、臭いを嗅いだり)問(質問する)切(体に手を触れる)
の四つの経験的な方法ですので、どうしても科学的でないと
いって馬鹿にされがちですが、それでも場に注目するという事
では、神経系にだけ問題をしぼろうとする近代西洋医学よりも
進んでいると言えそうです。

たとえば、癌の痛みも一律に捕らえるのではなく、弁証によって
五種類に分類し、それぞれに適合した治療法をあげています。
結痛→毒が集まって痛みを生ずる。実際の毒という考えでは
            なく、あくまでも場の歪みのひとつの表現。
治療原則→化毒散結・清熱解毒

脹痛→気の流れが滞って起こる痛み。
治療原則→行気導滞

刺痛→血液のうっ滞が起こり、経絡が閉塞することによって
     痛みを生じる。
治療原則→活血通経

串痛→風邪・寒邪によって起こる。
治療原則→疎風散寒

隠痛→脾気の不足が原因で、身体の一部に寒邪が凝集した為に
     気が滞って起こる痛み。

西洋医学では、ひとまとめにして癌の疼痛としているものでも、
五種類に分け、それぞれに異なった治療を行ないます。
注意しなければならないのは、処方にしても常用薬にしても、
それぞれ速効性のある鎮痛剤というわけではないことです。
局部に直接作用を及ぼすものではありません。

体の歪みを是正することによって、結果的に その歪みによって
生じていた疼痛をも除去するという考え方なのです。
だから、この歪みが是正されなければ痛みは去らないわけで
速効性、確実性という点では漢方薬は西洋薬の鎮痛剤に比べて
あきらかに劣ります。
しかし目的は歪みの是正ですから、単なる鎮痛ではなく、その痛み
によってくる原因の治療にもつながっているのです。

西洋医学の鎮痛剤ですと、急性の痛みがとれて、爽やかになって
しまう場合はよいのですが、慢性の痛み・・特に癌の場合の痛みが
とれても、これはあくまで鎮痛だけで・・原因となっている癌の治療
にはなっていないのです。
このことは患者さんは知っています。だから「希望」という点では
心もとないものがあります。

漢方薬の場合、鎮痛作用は弱くても、いっぽうで原因の根本的な
治療にもつながっているという裏付けがありますので、例え一筋の
光明であっても治療への希望が湧いてきます。
これは、自然治癒力を高める意味でも実に大きなことなのです。

痛みを五種類に分類するということは、基本的には全身の弁証に
よるものですので、どの部分にどの癌があるのか、あるいは 程度
はどうなのかといったことは、原則的にはどうでもよいという考え方
ですが、それでも体の状態や痛み方によって、人体の現わす証を
弁別していくといった弁証も行なわれます。

たとえば、虚証(正気が不足している状態)と、実証(邪気が充実して
いる状態)という分類のしかたがあります。

痛みと共に、腹部に膨満感があり、便秘傾向のものは実証。
疼痛部位に手を当てられるのを嫌がるものは実証で、手を当てられ
て気持ちよくなるものは虚証。
舌が深紅色であるものは実証で、舌苔の薄いものは虚証。
脈が弦で、呼吸の粗いものは実証で、脈が細で、元気衰弱している
ものは虚証。
痛みの部位が固定していれば実証で、固定していなければ虚証。
結痛と刺痛は実証で、串痛は虚証。

また、寒証(体に熱が不足している状態)と熱証(体に熱が過剰にある
状態)という分類では、隠痛は寒証で、結痛は熱証と分けられます。
さらに気血については、痛みの部位や程度が常に変化するものは
「気滞」(気が停滞している状態によるもので、部位も程度も一定で
持続するものは「血瘀」(血液循環の悪い状態)によるとされています。

                  引用著書 「痛みをとる大事典」