明け方から、呼吸困難を起こし
目の前にいるのは、酸素マスクをつけ 嫌いな点滴をし
目を閉じたまま喘いでいる彼
呼びかけても 返事は返ってこない・・・
ただ・・・呼びかければ意識下で答えようとするのか
乱れた呼吸が、呼びかけた瞬間リセットされる・・・

「痛いよ」「苦しいよ」って言わないの?
「点滴は嫌だって言っただろ!」って言わないの?
体がもうギブアップなの?
問いかけても・・答えは返ってこない・・・

癌性疼痛に塩モヒと・・閉塞感を緩和する為にドルミカムを使い
ギリギリのラインで現状を保っている状態だった。
薬の量を増やすと、呼吸抑制を起こすので・・
なんとか長男がくるまでは・・・と院長先生は、何度も何度も
部屋に来ては 彼の状態を確認して下さった。
ただ・・・表情は厳しいものだった・・・

緊急連絡から1夜明け 朝10時過ぎに長男が到着した。
ここでは色々書く事はできないけれど・・偶然にも日向のあたりを
航海中で、本当にすごいタイミングで こんなにも早くたどり着く事
が出来たのだった。
父親への想いが幾つかの偶然を起こしていた・・・

癌になったと告げられた時から、「いつかはこんな日が訪れる」
そう覚悟はできていただろうが・・・細々とした現実の状況が
見えない長男にとっては、認められない現実だったと思う。
メールのやり取りでも、TELで話す時でも・・その瞬間の彼は
「まだまだ大丈夫!」「悪運強いからな!」としか言わなかった。
ただ「いつ、どうなるかはわからないから・・」と遺言状は早々と
渡し、思いつくままに自分がいなくなった後のすべき事、して欲しい
事は伝えていた。

目の前の父は、酸素マスクをつけ 意識がない・・・
長男は・・何も言わない彼の側に座り・・ただ呆然と見つめていた。
どれくらいの時間が流れただろう・・はっきりと覚えていないけれど
しばらく経った頃、ムンテラ(インフォームドコンセント)が行われた
息子さん2人・・そして私の、今の 彼に対するそれぞれの想い・・
希望を率直に聞きたいというものだった。

まずは院長先生が、今の状態を素直に告げる・・・
1晩持ちこたえてくれたのも奇跡的であること・・今は癌の痛みと
共に、肺炎による排痰困難な状態が呼吸苦を招いていて・・
彼は1番きつい状態にいるとの説明・・・
彼の痛みやきつさを緩和してあげるには薬しかない・・・
けれど、その薬を使えば・・それは彼との別れを意味する。
苦悩の表情で・・院長先生は言葉を選択して説明している。

次男が突然席を立った・・・いたたまれなかったのだ・・・
そんな現実など・・認めたくなんてない・・・
そんな気持ちなのだろう・・痛いほどによく解る・・・
ラウンジの反対側をウロウロ行ったり来たり・・
涙を拭いながら歩いているのが見える・・・

長男は、父ともう一度話しがしたいと言う。
伝えなきゃいけない言葉がある・・と
薬を止めて欲しいと・・
院長先生は、今の彼の状態で薬を止めるのは、生き地獄の
状態に等しい・・けれど家族の想いも大切だから・・と言う。
院長先生は、私のほうを見た・・・
私は、素直に語った。

このホスピスにはペインコントロールのために来たのであって
彼は今、ここで最期の時を迎える覚悟できた訳では決してない・・
彼はまだ、みんなに・・そして私にも伝えなきゃいけないことがある
このまま逝かせたら、みんなの心が止まったままになってしまうし
彼も後悔すると思う・・・だから・・・
あとは・・・言葉にならず涙が溢れるだけだった・・・
院長先生が奥からティッシュの箱を持ってきて、私たちの前に
そっと置き・・しばらくみんなが泣きじゃくる姿をじっと見守ってくだ
さった。

そして・・・「午後から、彼の薬を止めるので・・それぞれの想いを
伝えてあげてください」・・と言われた。
先生も、そして同席してくれていた担当の看護師さんも泣いていた。

彼にもう1度逢える・・・それだけでいい・・・多くは望まなかった
愛しくて、愛しくてしかたなかった・・・