オキシコンチンを飲んで少しウトウト眠った彼・・・
やっと朝がきた・・もうすぐ院長先生が来てくれる・・

こんな状態でも、彼は食事の時間になると・・きちんと起きて
「一緒にごはん食べよう!」と言ってくれる。
彼が食べないと、私も食べない事を知っているからなのか、
必ず形だけでも、オーバーテーブルをはさんでベッドの上で
向かい合って食事を取った・・・
もちろん、彼は病院の食事には殆ど手をつけない・・・
納豆ごはんや、明太子ごはんに汁物といったパターンだった。

この頃になると、好きなものしか食べないこと・・そして、いわゆる
「癌悪液質」を起こしているのか、低栄養によるエディマが顕著だった。

下肢の浮腫は・・普通の靴下が履けないほどで・・最初にこの症状に
気付いた時には、かなりのショックを受けた・・・
彼は「足がゾウさん」なんて言って笑っていたが、私は笑えなかった。
大阪の師長さんにTELで対処法を聞き、毎日リンパマッサージを
続け、アドバイスいただいたプロテインを彼に勧めたけれど、
プロテインは嫌だと却下された・・・

低蛋白による症状なので、とりあえず食事にはタンパク質の含まれる
ものを取り入れていた。

朝食の後、「大阪は何時に行くんだっけ?」と言う・・
「今日はこの状態じゃ無理だよ」と説明してみたけど「今行けなかったら
ずっと行けんよ」って 真顔で言う・・・「行けるためのコントロールを 今
一生懸命やってくれてるんだよ」と言うと納得?というか、この時点では
ほとんどウトウト状態だった・・・

11時半にやっと目を覚ます。
彼が起きた事を知った院長先生が訪室され、薬変更の説明をされる。
持続性点滴or経口量を減らしケタラールシロップ服用・・の選択肢

彼の訴えは元の薬の量に戻して欲しい!原点に戻したいというもの
だった。点滴はあくまでも拒否だった。
希望どおり、元の薬の量で換算したディユロテップパッチ+レスキュー
+ボルタレンで対応という形に変更された。

モルヒネで緩和されない痛み・・骨転移などによる体動時の痛みには
消炎鎮痛薬のほうが効果がみられることの方が多いという。
念願?のディユロテップを貼ってもらって 嬉しそうな彼は、ちょうど
息子さんが来たということもあって、「散歩に行こうよ」というので
車椅子に酸素を積んで院外へ・・・

この時のサットは77だった(ありえない)けれど、どうしても外に出たい
と言い、車で音楽を聴くと言うのだ・・大好きな長渕のCDを聴き始め
煙草を吸おうとしたが・・吸えなかった・・・

どう動いても、新鮮な外の空気をすっても苦しいのだ・・・
すぐに部屋に帰ろうと言い、戻る・・・
院長先生が持ってきたポータブルのレントゲンで胸写を撮る

レントゲン撮影の結果・・いいほうの左肺の約半分が真っ白!
肺炎を起こしている上に・・かなりの痰の貯留が認められた。
右肺は癌腫瘍で、殆ど呼吸機能は果たしていない・・・
左肺でかろうじて呼吸していたのに・・この状態では呼吸が
できていないのだ・・・酸素を送っても取り入れられていないのだった。

すぐに抗生物質のパンスポリンが点滴される。
彼はオキシコンチンを中止して、吐き気もなくなり頭がスッキリしたと
喜んでる。それでも定期的に襲ってくる痛みは変わらず、レスキュー
で対応する。
夜遅くに、おなかすいたよ!と言い夕飯の残りを食べて・・
落ち着いたのか、すぐにウトウト・・・
夢?の中で「先生、血液検査の結果は?」と言っていた・・・

珍しくベッドのギャッジアップを平らにして、まっすぐ寝ている。
何ヶ月ぶりかに見た、この光景に感動した。
これが本来の・・自然な姿なんだよね・・・
手足の浮腫も、少し減った気がした・・・

でも、この感動も一瞬のもので・・この後・・明け方になって彼に
変化が現れてきた・・・肺癌にとっての致命傷→肺炎による
「急変」だった・・・